幸せであり続ける人なんて居るんだろうか?
不幸せであり続ける人なんて居るんだろうか?
そんな人は居やしない
生まれ変わっても自分になりたいなんて思わない。他人になりたいとも思わない。
どっちでもいい。それなりに自分の人生に幸せを見出せてるから。
もしも、自分にもう一度生まれ変われば最高の友人に再び会えて、自分だからこそ感じられる喜びを再び感じることが出来る
もちろん、自分だからこそ経験してしまう苦しみ、悲しみも感じなければいけない
もしも他人に生まれたならば、自分では経験できない喜びや感動を経験できるだろう。
しかし、自分だったら味あわ無くてもよかった恐怖や、怒りを感じなければいけない
だから俺は、『もしも生まれ変われるなら誰に生まれ変わりたい?』と聞かれても答えられない
もしも、「二度となりたくない」なんて言う人は、将来を悲観し過ぎているだけだと思うし、「もう一度」なんていう人は、見ていないだ
け
もしくは、これから訪れる出来事を楽観的に捕らえすぎているだけ
だから、自分になってもいいし、ならなくてもいい。自分にしか無い幸せと不幸。他人にしか無い幸せと不幸があるから
話は変わるが
全ては0になる
一生を通して、プラスにもマイナスにもならない。一時間単位で、一日単位で、一ヶ月単位で、一年単位で、一生単位で幸福と不幸は同じ
量だけ降り注ぐ
生まれた瞬間は0
そこからさまざまな事柄が起きて、プラスにもマイナスにもなる
しかし、それはあくまでも『借り』でしかないので最後には返さないといけない
寿命でも、事故でもなんでも、死ぬ瞬間に『ああ、もっと生きたい』と思った人はその人の中には『+』(この場合は幸せと取ってくれる
とありがたい)が余っているから後悔の念が生まれる
その念、無念によって+と−が帳消しとなる
『ああ、これで死ねるのか』と思った人はまた逆(この場合は−(不幸)が多かったと思って欲しい
前者は死と言う一瞬の『−(絶望などの負の感情)』で、後者は死と言う『+(今までの−からの解放で』±を0になる
『人間は公平だなんて言っているが、その実不公平だ』と言っているが、それは生きている間に限られる
死ぬ瞬間にはみな平等になる(まるで神の言葉のようで反吐が出そうだが、俺はこれが真実だと思っている
死は生きているもの全てに平等に訪れる
長々と話したが、何が言いたいかと言うと。程度の差はあれ、不幸が訪れれば幸福も訪れる。遅かれ早かれ
その逆も然り
だから、悲観してはいけない。どんなに辛い生涯だろうと…死ねば全てが無と帰す
死は全てから解放だから
『質量保存の法則』
化学反応の前後において,物質全体の質量は変化しないという法則
生まれた瞬間は0
死に逝く瞬間も0
幸せの質量は絶対に変化しない
「だったら、最初から何もしなくて好き勝手に生きてればいいじゃないか?」と思われるかも知れないが、それはまた個人の人生価値観に
大きく左右されるのでここでは触れないでおこう
少なくとも俺は、これから来るであろう『幸せ』に若干の期待を寄せながら足掻きながら生きていこうと思う
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